一方、イタリア南部では、カヴールの支援を受けた青年イタリアのガリバルディ(1807年〜82)が赤シャツ隊(千人隊)とよばれる義勇兵を率いてジェノヴァを出発し(1860年5月5日)、シチリアに上陸した。その後さらに進撃を続けイタリア南部を占領した(両シチリア王国占領)。この動きに、共和主義の浸透に危機感をもったカヴールは、国王に南下を急がせ、またガリバルディを妨害しつつ、ガリバルディと交渉を進めた。この結果、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世とガリバルディの会見がモンテクローチェでおこなわれ、占領地をサルデーニャ王に献上させることに成功した。
こうして、1861年3月、オーストリア領ヴェネツィアとローマ教皇領を除く、イタリア王国(首都トリノ)が成立した。王位にはヴィットーリオ=エマヌエーレ2世がついた。