被害の状況(
昭和51年9月12日、集中豪雨(によって、安八郡(安八(町大森の長良(川堤防(道路が決壊(しました。
安八(町と、となりの墨俣(町(現(、大垣(市)では、1人が命を落とし、3500世帯(以上(が床上浸水(などの被害(を受けました。
岐阜(県全体では、70ヵ所で堤防(がこわれて28000世帯(以上(の家が床上浸水(し、山(がけ)くずれが700ヵ所以上(で発生する大災害(となりました。
気象の概況(
9月8日、日本海にあった低気圧(からの寒冷前線(が本州にのびていました。そして南大東島の南にあった台風17号のえいきょうで岐阜(県には、あたたかくてしめった風がふきました。
このため、9日にかけて、岐阜(県の西の方を中心に強い雨がふり、岐阜(市では、1時間に90ミリ以上(の大雨となりました。川がはんらんしたり、 家が浸水(したりする被害(がでました。
このあと、10日の午前中に、いったん雨は弱まりましたが、午後から、ふたたび、大雨となりました。とくに、11日から12日にかけては、台風は鹿児島(の南西の海から、ほとんど動かなかったので、強い雨がずっとふりつづけ、 がけくずれや洪水(など、多くの被害(を出しました。
さらに台風が近づいた13日にも、揖斐(川や長良(川の上流あたりで強い雨がふりました。