ウマイヤ朝は750年に首都をバグダードに置いたアッバース朝によって打倒されたが、その後もジハード(聖戦)は継続され、イスラム世界は拡大を続けた。ヨーロッパではフランク王国とビザンツ帝国の必死の抵抗に阻まれ、シチリア島などを得るにとどまったが、東方では751年にタラス河畔の戦いで、唐の軍隊を撃破し中央アジアのイスラム化を加速化することとなった。この戦いは中国で発明された製紙法が西方に伝搬したことで有名である。ただし、今まで単一の勢力としてまとまっていたイスラム教徒は、この頃から分裂を開始し、まずイベリア半島でウマイア家の末裔がコルドバを首都に後ウマイア朝を建国したのを端緒に、これ以後アッバーズ朝は分裂を開始することになる。