オゴタイ=ハンは、金を滅ぼし(1234年)、カラコルムを都に定めた(1235年)。また、甥のバトゥを西方に遠征させて、ロシア諸侯を服属させ、さらに東ヨーロッパに進出しポーランドとドイツ騎士団の連合軍をワールシュタット(リーグニッツ)の戦い(1241年)で破り、ヨーロッパ中に衝撃を与えた。この戦いで連合軍を指揮したシュレジエン侯ハインリヒ2世は戦死した。しかし、バトゥのモンゴル軍はオゴタイ=ハンの死の知らせを受けて、引き返した。彼は、帰国途中のサライに留まりキプチャク=ハン国を建国した。