4世紀後半アジア系のフン人がアッチラに率いられてヨーロッパに侵入し、ゲルマン人の住む東ヨーロッパに定住した。居住地を追われたゲルマン人の一部族がローマ帝国内への移住を開始し、これをきっかけにしてその他の部族も、ローマ帝国への移住を開始し、いわゆるゲルマン人の大移動が始まった。
 多民族国家であるローマはゲルマン人の移住に寛容であったが、大規模な移住に対応しきれず国内が混乱した。そこで、395年テシオドス帝は、帝国を東西に分割して2子に分け与えた。
 コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、都市経済や政治システムが安定しており、1453年まで存続した。
 しかし、ローマを首都とする西ローマ帝国は混乱から立ち直ることができず、476年ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって西ローマ皇帝は退位させられ、西ローマ帝国は滅亡した。