1931年9月、日本の関東軍は中国東北地方(当時日本では「満州」と呼んでいた)の柳条湖で鉄道を爆破し、これを口実に軍事行動を起こし、東北地方の大部分を占領した。これが、満州事変である。日本の軍事行動は国際的に非難され、中国の提訴で国際連盟もリットン調査団の派遣を決めた。関東軍は既成事実を作るため、清朝最後の皇帝溥儀を執政(のちに皇帝)にすえて、満州国を建国した。調査団の報告を受けて、国際連盟は日本の軍事行動を侵略行為と判断したため、1933年日本は国際連盟を脱退し国際的に孤立した。
  日本の侵略はその後もつづき、華北地方の支配を目指すようになった。