太平洋の日本軍占領地域を次々と解放したアメリカ軍は、1944年6月マリアナ諸島のサイパン島に上陸した。サイパンは「絶対国防圏」とされており、守備する日本軍は激しく抵抗したが全滅した(当時の日本では『玉砕』と報じられる)。また、日本では民間人にも「捕虜になることは恥である」と教育されていたため、多くの民間人が自殺をしたり、島の北端の崖から身を投げて命を絶った。 サイパンを占領したアメリカ軍は、直ちに最新鋭爆撃機B29の基地を建設した。これにより、日本の主要都市のほとんどがB29の行動範囲内となり、これ以降アメリカ軍はB29を使用しての日本本土への爆撃作戦を強化した。これにより、主要都市や軍事工場などは大きな被害を受け、日本の戦争継続能力は著しく低下した。