博士(はかせ)の偉業(いぎょう)
23歳(さい)でドイツに留学後(りゅうがくご)、「ガウス数体(すうたい)の虚数乗法論(きょすうじょうほうろん)に関(かん)する論文(ろんぶん)」で博士号(はくしごう)を得(え)て、東京大学(とうきょうだいがく)の教授(きょうじゅ)となりました。
それから10年間(ねんかん)、ひとつの論文(ろんぶん)も発表(はっぴょう)しませんでしたが、その間(あいだ)に世界(せかい)の数学界(すうがくかい)のナンバーワンといわれたドイツのヒルベルトが着目(ちゃくもく)した超難問(ちょうなんもん)に取(と)り組(く)み、ついにそれを解決(かいけつ)したと同時(どうじ)に、難問(なんもん)「クロネッカーの青春(せいしゅん)の夢(ゆめ)」をも解(と)いて、「タカギ類体論(るいたいろん)」として完成(かんせい)させました。
そして、1940(昭和(しょうわ)15)年(ねん)、第(だい)1回文化勲章(かいぶんかくんしょう)を受賞(じゅしょう)しました。