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那留ヶ野 帳締谷 那留ヶ野 帳締谷
那留ヶ野 帳締谷(郡上市白鳥帳那留)
・1755年(宝暦5年)8月、農民の有志70人あまりが密かに集まり、
・傘連判状からかされんぱんじょうをつくって団結し、江戸の藩主にじかにお願いすることを決めた場所です。
・西と南は山が高く、北は谷が深くなっていて、樹木ややぶの生いしげった広野原でした。昼間でも道に迷うほど人家より離れてさびしく、さるやきつねのすむところだったそうです。
・八幡の城下より20kmも離れ、近くの村々に通じる街道が通っていて、ひそかに集まって相談するにはいいところでした。
・現在は、東海北陸自動車道白鳥インターチェンジの建設により、ようすが変わってしまいました。
子持杉跡
・樹木ややぶの生いしげる広野原の那 留ヶ野で、目印となる大杉でしたが、開こんや植林によって、今はその株の跡が残るだけとなっています。
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