岐阜地方気象台(の歴史(
気象台のはじまり
岐阜(地方気象台(の前身(である「岐阜(測候所(」は明治(14年(1881年)1月1日岐阜(県農(学校において気象観測(をはじめたことにさかのぼります。
県の機関(
その後、明治(16年(1883年)1月から県の運営(する機関(として、決まった時間に観測(をし、その記録(をとどめるようになりました。
そして、明治(19年(1886年)に、県庁内に移(されました。
明治(24年(1891年)の濃尾地震(の被害(を受け、風力台が倒壊(しました。
明治(29年(1896年)には、岐阜(県尋常(中学校構内(に移(りました。
国の機関(
明治(28年(1895年)4月より、中央気象台((今の気象庁()は、文部省(に属(しました。
現在(の気象台(のある場所へ移(ったのは、大正6年(1917年)でした。
この間、戦争(があり官舎(が焼(けてしまうといったこともありましたが、貴重(な昔(の資料(は焼(けることなく、今も残(っています。
昭和31年(1956年)より中央気象台(は気象庁(と名前を変(え、運輸省((今の国土交通省)の外局(となりました。
また、翌年(32年(1957年)9月から岐阜(測候所(は岐阜(地方気象台(となりました。そして高山測候所((現在(の高山特別地域(気象観測(所)が岐阜(地方気象台(の管轄(となりました。
昭和51年(1976年)に新庁舎(が建てられ、現在(に至(っています。
昭和53年(1978年)12月よりアメダスの運用を開始しています。