「一定の」


 ニュースを見ていたら、キャスターの言葉に、「○○はイラクの△△について、一定の理解を示しました。」というのがあった。ううむ……。
 いつからだろう、こういう言葉遣い。一定ということは、なにか分量があるに違いなく、しかもばらつきがないはずだ。謎の日本語。実に不可解である。理科でも「E=IR……一定」などとやった覚えがある。
 ニュースで使う「一定の」には、「ある程度の」という意味があるようだ。それならボクたちも使ってみたい。

 「正座、痛くなっただろ。少しは反省したのか?」「一定のね」
 「お風呂、湯加減はどう? 気持ちいい?」
「一定のね」
 「なんだ、赤い顔して。大丈夫か? 熱はないのか」「一定のね」
 
 日常生活に使うと人間関係が壊れるであろうことを発見した。

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