「長谷川」


 どうしてそう読むのか分からないという言葉は多い。子どものころから不思議だった。その最初は「長谷川」だった。「ハセガワ」と読むと知ったときの衝撃は大きかった。その衝撃はクラス中に広がった。「ハセガワ」って読むんやぞ。そしてやがてそれも治まると、知らない人は周りにいなくなった。
 そういうことだから、「どうしてハセガワと読むのか」という疑問は表に出なくなった。しかし、ボクのようにその不思議さを温めている人は全国に数多くいるはずだ。
 高校のころ、つまり二十五年も前になる。ボクは、古今和歌集にその理由を見つけていた。

 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける

 百人一首にもある紀貫之のこの歌には、詞書き(ことばがき)というものが添えられていた。

 「初瀬(はつせ)にまうづるごとに、やどりける人の家に……」

 ここで「初瀬」という言葉に出会っていたのに、ボクはこれを「ハセデラ」に結びつけようとしなかった。お寺に生まれ、幼いころからおばあさんたちの「ご詠歌」で「長谷寺」になじんでいたのに、なんということであろうか。教科書にも「初瀬=長谷寺(ちょうこくじ)のこと」とあったはずだ。今再び、辞書で調べてみる。
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 はせでら 【長谷寺】
  奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派の総本山。山号は豊山。天武天皇の勅願により道明が草創した本(もと)長谷寺に始まる。のち聖武天皇の勅願寺。(中略)ちょうこくじ。はつせでら。泊瀬寺。初瀬寺。豊山(ぶざん)寺。長谷観音。
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 正しくは「ちょうこくじ」。初瀬にあるから「はせでら」なのだ。地名が寺の名前になってしまったのだ。でも、まだ何か、引っかかる。

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