「かーじゃくし」


 ボクの生まれた家では、杓子(しゃくし)のことを「かーじゃくし」という。味噌汁をよそうとき使う、金属製のあれである。発音は、「かいじゃくし」と「かーじゃくし」の中間で、ドイツ語的な読み方をするのが正しいようだ。そんなところからも、そこが名古屋圏にあることを感じさせるが、この言葉は、我が家ばかりではなく、村の共通語だった。
 だから、村の中に葬式があったりすると、あちこちの奥方が集まって取り持ちを行って、「ちょっと、かーじゃくし、どこいってまった?」「どこぇいった? かーじゃくしは」「あー、ここにあったー、かーじゃくし」と、うるさいことこの上なかった。
 さて、そんなポピュラーな言葉なのに、街から転校してきた子に言っても伝わらない。そこで、なんというのかと聞くと、当たり前のように「しゃくし」というではないか。「かーじゃくし」の方が正しい、省略してそんな風に言うのは良くないと言っても、「横浜じゃあ『しゃくし』じゃん」と言われた。こうして、自分たちの話す言葉が田舎の言葉だったと初めて認識した次第だ。
 さて、母はこの言葉の由来をこう語った。
 古くは岐阜でも「しゃくし」が当たり前だった。ところが戦争が始まると、鍋でも釜でも、金属製品は次々と供出されていった。お寺の鐘まで出ていって、帰ってこなかった。そんな時代だから、しゃくしも持って行かれて鉄砲の弾になった。でも、そういうものがないと困るので、知恵を絞って、大きな貝に穴を開け、木の柄につけて、しゃくしにしたのだ。だから、これを「貝杓子」と言うようになった。戦争が終わって、貝なんて使わなくなったのに、言葉だけは残ったんだよ。
 ボクは村のおばあさんたちのことを思った。夫を戦争に取られるは、家の中の物がどんどん出ていくはで、不安で仕方なかっただろう。そして結局は、戦争には負ける、物はない、帰ってくるはずの夫や息子が帰らなかった家もたくさんある。ボクは、お盆には村中のたくさんの家を回ってお経をよんで育ったので知っているが、仏壇に「忠孝○○居士」とか「義烈○○居士」とか、先の尖った金色の位牌が祀ってあるのは、あれは出征して亡くなった人のものだ。村のおばあさんたちは、そんな位牌に毎日ご飯と味噌汁をお供えする。
 その時使う道具は、いつまでたっても、「かーじゃくし」でなくてはならないだろう。

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