「海月」


 おもしろい俳句を見つけた。作者は、黒柳召波(一七二七〜一七七一)という人だ。

 憂きことを海月に語る海鼠かな
       (海月…くらげ。海鼠…なまこ)

 海月というのは正体がなくて、ふわふわしている。ものごとを深刻に考えることなんてあるのだろうか。
 一方の海鼠の方は、これは憂鬱のかたまりみたいな存在で、きっと海の中でごろごろしながら、自分に目があったらなあ、自分にヒレがあったらなあ、とか、その身の運命を受け入れられずにこぼしているように思える。
 さてさて、そんな海鼠がふわふわ者の海月に「実はこれこれで、ボクは困っているのだよ」と語ってみたところで、きっと海月は「ああ、そうかいそうかい。気にしない気にしない」と、まともに取り合ってはくれない。で、結局海鼠の悩みは解決に至らないのだろうが、とりあえず聞いてもらえて海鼠は少し気が楽になっている。一方の海月は聞くだけ聞いて、聞いたそばから忘れていくから、彼には積もり積もった悩みなんて存在しないのだ。だから今日もふわふわしている。
 黒柳召波という人が、一七〇〇年代に生きていたというところに、ボクは注目したくなった。「何だって?」という感じだ。そんな時代にこんな戯画みたいなことを俳句にしているなんて、その想像力に感心する。
 海辺で詠んだと言うよりは、酒でも飲んで、肴を箸でつつきながら思いついたと言うべきか。彼にも何か悩みがあったのかも知れない。そんな自分を海鼠にたとえ、脳天気な聞き役を海月にたとえていたのだろうか。
 ボクだって、聞いてくれるのなら、ねこにだって相談している。問題は、ねこが家にいないことか。

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