「元号(二)」


 元号について調べてみた。「大化」は元号の生まれ初めのもので、日本の元号第一号であった。以来、数多くの元号が生まれたわけだが、当初はいい加減なところもあって、

 六四五年 六月一九日 大化元年(孝徳天皇)
              …「大化」は五年間
 六五〇年 二月十五日 白雉元年(孝徳天皇)
              …「白雉」は五年間
 六五五年    斉明天皇元号を定めず

 ということで、せっかく孝徳天皇が定めた元号というものも、次の世代には引き継がれなかった。また、天武天皇は、六七二年に即位しているようだが、十四年間は元号を定めず、六八六年七月に初めて「朱鳥」と定め、翌年にはしかし持統天皇の御代。またも元号は定められず消え去っている。
 以来、元号が決められてもほんの三、四年から六、七年で変えられてしまうことになる。これは実にあわただしく、物覚えの悪いボクのようなものにはとても追いつかないことである。
 こういうところからも、昔の人は記憶力が良かったとか考えられそうなものだが、ボクはあまりそうは思わない。昔も今も、物覚えのよくない人は数々いたはずである。しかし、これがたいした問題にならなかったのは、歴史が万民のものではなく、一部のものだったからだと思うのだ。
 人々の暮らしに五十年前という昔はなく、いつでも、今生きることで精一杯だった。過去とは十年そこそこまでで、それ以上の昔は、寺社や為政者、一部の豪農の記録するものではなかっただろうか。歴史とは庶民の関心事ではなかったかも知れない。そんな時代には、三十年前の元号がなんであろうがどうでもいいことだ。
 ボクは昭和の時代に生まれたが、これが六十三年もあって良かった。父親と同じ元号なために、年齢を比べるのに不便がない。

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