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これも昔、右の顔に大きなる瘤(こぶ)ある翁(おきな)ありけり。
大柑子(おほかうじ)の程(ほど)なり。
人に交じるに及ばねば、薪(たきぎ)をとりて世を過ぐる程に、山の中に心にもあらずとまりぬ。
また木こりもなかりけり。恐ろしさすべき方なし。
木のうつほのありけるにはひ入りて、目も合はず屈(かが)まりゐたる程に、
遥(はる)かより人の音多くして、とどめき来(く)る音す。
いかにも山の中ただ一人(ひとり)ゐたるに、人のけはひのしければ、
少しいき出づる心地して見出(みいだ)しければ、大方(おほかた)やうやうさまざまなる者ども、
赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を褌(たふさぎ)にかき、
大方目一つある者あり、口なき者など、
大方いかにもいふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集まりて、
火を天(てん)の目のごとくにともして、我がゐたるうつほ木の前にゐまはりぬ。
大方いとど物覚えず。 【〜中略〜】 あさましと見る程に、横座にゐたる鬼のいふやう、 「今宵(こよひ)の御遊びこそいつにもすぐれたれ。 ただし、さも珍しからん奏(かな)でを見ばや」などいふに、 この翁物の憑(つ)きたりけるにや、 また然(しか)るべく神仏(かみほとけ)の思はせ給ひけるにや、 「あはれ、走り出でて舞はばや」と思ふを、一度(いちど)は思ひ返しつ。 それに何(なに)となく鬼どもがうち揚げたる拍子(ひやうし)のよげに聞えければ、 「さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん」と思ひとりて、 木のうつほより烏帽子(えぼし)は鼻に垂れかけたる翁の、 腰に斧(よき)といふ 木伐(き)る物さして、 横座の鬼のゐたる前 に踊(をど)り出でたり。 |
宇治拾遺物語 三 鬼に瘤とらるゝ事[巻一・三] |