宇治拾遺物語原文
 世に宇治拾遺物語といふ物あり。この大納言は隆国(たかくに)といふ人なり。西宮殿(にしのみやどの)の孫、俊賢(としたか)大納言の第二の男(なん)なり。 としたこうなりては、暑さをわびて暇(いとま)を申して、五月(さつき)より八月(はつき)までは平等院(びやうどうゐん)一切経蔵(いつさいきやうぞう)の南の山ぎはに、南泉房(なんせんぼう)といふ所に籠(こも)りゐられけり。さて、宇治大納言とは聞えけり。
 髻(もとどり)を結(ゆ)ひわげて、をかしげなる姿にて、筵(むしろ)を板に敷きてすずみ居侍(いはべ)りて、大(おお)きなる打輪(うちわ)をもてあふがせなどして、往来(ゆきき)の者、上下をいはず呼び集め、昔物語をせさせて、我(われ)は内にそひ臥(ふ)して、語るにしたがひて大きなる双紙(さうし)に書かれけり。
 天竺(てんじく)の事もあり、大唐(だいたう)の事もあり、日本の事もあり。それがうちに貴(とふと)きこともあり、きたなき事もあり、少々は空物語(そらものがたり)もあり、利口なる事もあり、様々(さまざま)やうやうなり。
 世の人これを興じ見る。十四帖(でふ)なり。その正体は伝(つたは)りて、侍従(じじゆう)俊貞(としさだ)といひし人のものにとぞありける。いかになりにけるにか。後(のち)にさかしき人々書き入れたるあひだ、物語多くなれり。大納言より後の事書き入れたる本もあるにこそ。
 さるほどに、今の世にまた物語書き入れたる出(い)で来(き)たれり。 大納言の物語にもれたるを拾ひ集め、またその後の事など書き集めたるなるべし。 名を宇治拾遺物語といふ。宇治にのこれるを拾ふとつけたるにや。 また侍従を拾遺といへば、宇治拾遺物語といへるにや。差別しりがたし。おぼつかなし。

宇治拾遺物語