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1976年から1979年まで続いたクメール・ルージュ(ポル=ポト)政権下のカンボジアが舞台
の映画です。 |
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1984年 |
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アメリカ |
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1973年カンボジアでは、アメリカ軍に後押しされたロン=ノル政権とクメール=ルージュとが激し
い内戦を繰り広げられていました。記者のシャンバーグは現地の助手プランとともに取材に当たってい
ましたが、クメール=ルージュが首都プノンペンを占領し虐殺が始まると、シャンバーグたちはカンボ
ジアからの脱出を計画します。シャンバーグは脱出に成功しますが、プランはカンボジアから出ること
ができませんでした。
ここで、プランはポル=ポト政権による極端な共産化政策とそれに伴う大量の虐殺を体験することにな
ります・・・ |
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1975年ポル=ポト率いる共産党勢力、クメール=ルージュはアメリカに支援されたロン=ノル政権を打
倒し、民主カンボジア政府の樹立を宣言した。しかし、ポル=ポト政権は極端な共産主義政策を押し進
め、都市住民の農村への強制移住や大量虐殺を行った。ポル=ポト政権によって3年あまりの間に30
0万人あまりの人々が殺害されたといわれている。ポル=ポト政権は、1979年にベトナム軍に支援
されたヘン=サムリンによって崩壊したが、その後10年以上にわたってカンボジアでは内戦が闘われ
た。 |
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「ポル=ポト政権によって虐殺されたとされる人骨」 |
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