「火蓋を切る」という表現 |
ここでは、火縄銃の撃ち方を説明します。 まず、「戦いの火蓋を切る」と言う表現から説明をはじめます。 もし、どこかに、 「壇ノ浦の東には源氏軍、西には平氏軍が軍船を並べた。文治元年3月24日の早朝、ついに決戦の火蓋が切っておとされた。」 と言う文章があったとしましょう。これは正しいでしょうか、間違っているでしょうか? 「戦いの火蓋を切る」というのは、「戦いが始まる」と言うことを示す言葉ですから、この文章は国語的には間違いはありません。 しかし、歴史的には、この表現は間違っています。 「戦いの火蓋」の「火蓋」は、火縄銃のパーツの名前です。 したがって、源氏と平氏の時代には、「戦いの火蓋を切る」ことはありえないのです。 以下、「火蓋を切る」ということばをキーワードにして、火縄銃の撃ち方を説明します。 |
火縄銃の構造 | ||
まずは、火縄銃の構造です。 火縄銃は、弾と火薬を銃口から込める(挿入する)、いわゆる形式上、前挿銃です。 現代の銃器は、前挿銃ではなくて、弾を銃身の後ろから挿入する、後挿銃です。 下の図のAは銃底部(火薬が爆発するところ)の構造図です。 Bは、全体の構造図です。 ※図とその説明は、佐々木稔編『火縄銃の伝来と技術』(吉川弘文館 2003年)P1・2を参照しました。 尾栓ネジは、種子島に伝来した火縄銃を日本人が模倣する時、なかなかまねができなかったといわれているあのネジです。 銃口内部と火皿とは、火穴という小さな穴でつながっています。 火皿(ひざら)を覆う蓋(ふた)が、火蓋です。 B図をご覧ください。 火縄銃ですから、火縄の火が直接火薬を爆発させる元となります。 火鋏(ひばさみ)に付いた火縄は、引き金を引くと、バネ仕掛けで火皿に押しつけられる仕組みとなっています。すると、火皿の火薬が小爆発して、その火力が火穴を通って銃身内部の火薬に引火して爆発し、弾丸が飛び出す仕組みです。 火皿の火薬は、いわば、着火薬です。 火蓋は、火皿を覆う蓋ですが、その役割は、二つあります。
以上が、火縄銃の構造の簡単な説明です。 |
火蓋を切るとはどうすることか |
次に「火蓋を切る」ということの意味を、写真にしたがって、説明します。 以下の写真は、 2004年3月28日に開かれた「さわやかウォーキング 新緑の東海道自然歩道と関ヶ原合戦鉄砲隊」(JR東海主催)のひとつとして、関ヶ原合戦史跡笹尾山石田三成陣地跡で行われた、「関ヶ原戦国体験村〜火縄銃と合戦太鼓〜」のイベントで撮影したものです。 各地から集まって来られた「鉄砲隊」の実演の後、大阪市の堺鉄砲研究会の澤田平先生、大垣市の大垣城鉄砲隊の竹中博男先生他、各隊員の方から個別に説明をうかがい、写真撮影をさせていただきました。ご協力を感謝します。 |
1 |
2 |
<射撃までの動作>
|
3 |
4 |
|
5 |
6 |
|
銃底部の拡大写真で確認 |
鉄砲隊のご協力で、銃底部の拡大写真を撮影することができましたので、それを見ながらもう一度復習です。 ただし、取材者が近くにいる危険な状態ですから、火薬は装填してありません。また、火縄にも火はついていません。 |
|
1 |
2 |
3 |
このページの先頭へ |