■ 東西両軍の配置図T
石田三成は前日に大垣城から南宮山の南を移動して、関ヶ原の北西側、笹尾山の麓に陣を置いた。一方家康は、赤坂の陣地から中山道を移動し、関ヶ原の東方、桃配山の麓に陣を置いた。 この両軍の配置図からだけ見ると、東(家康)軍は西軍に囲まれる格好となっており、不利な配置と考えられる。明治時代に日本に招かれたドイツの陸軍軍人は、配置と軍勢の数を聞くなり、「この戦いは西軍の勝ちではなかったか」といったといわれる。では、なぜ東軍が勝ったのか。