■ 西軍のうちの傍観軍
兼ねてから三成と敵対していた吉川広家は、輝元の名代として参加した毛利秀元軍とともに、南宮山に登って陣を置いた。これから戦いという時に、山に登ること自体、そもそも三成方に参加しようという意図がないことの現れだった。三成からのたびたびの戦闘参加の催促に、「今、弁当を食べている」と答えてはぐらかしたと伝えられている。世に言う、「毛利の長弁当」である。吉川、毛利軍が動かなかったため、山裾にいた安国寺、長束軍らも結果的に傍観となった。