■ 東西両軍の配置図U
傍観軍、寝返り軍も種別した全体の配置図。
西軍のうち、島津軍は戦闘の最中は決して戦いに加わらず、戦闘終了後、家康本陣の横を突破して、有名な前方への退却を行った。したがって、戦いにおいては、実質的には傍観軍であった。