はイスラム勢力に先んじて7世紀半ば過ぎには中央アジアを支配下に置いていたが、ウマイヤ朝時代になるとイスラム勢力は中央アジアに進出し唐と直接国境を接することになった。アッバース朝時代になった直後の751年にはタラス河畔の戦いで唐はイスラム勢力に大敗を喫している。このような政治・軍事的拡大だけでなく、イスラム勢力はオアシスの道海の道を通って東アジア世界と積極的な交易活動を展開し、広州にはタージ(大食)と呼ばれたイスラム商人らとの海上貿易事務を担当する市舶司が設置された。また国際都市として知られた首都長安をはじめ各地にはイスラム教が伝えられ回教(清真教)と呼ばれた。