フランス軍は「封建的圧政からの解放」を旗印に戦争を行ったため、フランス軍の征服地では改革が促されたが、その一方でフランスの支配に対する民族意識が成長した。まず、スペインで反乱が起こり、つづいてプロイセンでも、近代化改革が 行われた。
 ナポレオンはロシアが大陸封鎖令に違反して、イギリスに穀物を輸出すると、1812 年に60万もの大軍を率いてロシア遠征を行った。フランス軍は勝利を重ね9月には モスクワに入城したが、ロシアの将軍クトゥーゾフの焦土戦術により、全ての食料や物資が焼き払われており、フランス軍は食料や物資の補給に苦しんだ。また、10月にはいると猛烈な寒波がフランス軍を襲い、ナポレオンはモスクワから退却した。
  しかし、ロシアの正規軍・農民ゲリラの追撃に遭い、フランス軍は壊滅し、ナポレオンはわずかな兵とともにパリにたどり着いた。