1870年の統一完成後も、イタリア人居住地域で王国に編入されていなかったトリエステ・南チロル・イストリアなど国境地帯の小地域はなおオーストリア領にとどまり、イタリア人はこれを「未回収のイタリア」とよんで、その併合を要求し続けた。