チンギス=ハンは、ウイグルを服属させ、西遼(カラ=キタイ)の地を奪っていたトルコ系のナイマンを破り(1218年)、金を攻撃し、さらに西征してホラズムを滅ぼし(1220年)中央アジアを手に入れ、さらに南ロシア・インド西北部にも侵入した。その後、再び軍を東に返し西夏を滅ぼした(1227年)。 この結果、内陸アジアの遊牧民族のほとんどがモンゴル帝国の支配下に入ることとなった。それはまた、モンゴルが、ユーラシアの内陸部を東西に結ぶ「草原の道」「オアシスの道」を手中におさめたことをも意味する。