五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝の治世末期頃から、財政の行き詰まりや異民族の侵入などの問題が表面化してきた。3世紀には、帝国のまとまりが崩れ始め、各地の軍団がそれぞれ独自に皇帝を擁立して元老院と争い、短期間に多数の皇帝が即位しては殺害されるという軍人皇帝の時代になり、帝国は分裂の危機に陥った。
 284年に即位したディオクレティアヌス帝は、広大な帝国を4分しそれぞれに皇帝を立てて統治させ政治的秩序を回復した。さらに、皇帝を神として礼拝させたので、体制はこれ以降専制君主制に移行した。
 ついでコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認することによって帝国の統一をはかり、軍隊を増強して帝国支配を安定させようとした。また、彼は首都をローマからビザンチウムに移してこれをコンスタンティノープルと改称し、巨大な官僚体制を作り上げた。これにより、皇帝が官吏を使って帝国を専制的に支配する体制が完成し、共和制以来の伝統は完全に失われた。