康熙帝は国内では、三藩の乱(1673〜81)を平定し、明の遺臣鄭成功の孫の拠る反清復明運動の最後の拠点台湾を平定し(1683)、清の領域に加えた。対外的にはジュンガル部のガルダン=ハンの侵入を撃退し(1676)、外モンゴルのハルハ部を平定した(1697)。さらに晩年には、チベットを領有した(1720)。また、アムール川(黒竜江)沿いに南進していたロシアのピョートル1世とネルチンスク条約(1689)を締結し、アルグン川とスタノヴォイ山脈(外興安嶺)をもって両国の国境とした。
 シャムのアユタヤ朝が朝貢した(1665)。