1724年、青海(ワラ部)を藩部とした。またジュンガル部に対する対策で設けられたのが軍機処で(1732)、軍事機密が内閣・六部を経ずに地方の総督・巡撫と直結することとなったので、のちには政治の最高機関化し、軍機大臣は内閣大学士にかわり実質上の宰相となった。
 また、1724年にはロシアとキャフタ条約を締結し外モンゴルとシベリアの国境を画定した。