乾隆帝は内政・外征につとめ、外征では10度の外征にすべて勝利し「十全老人」の金印をつくったりしている。1758年にジュンガル部(イリ地方)を、1759年に回部(東トルキスタン)を従えて支配領域を拡大し、両部をあわせて新しい土地という意味で「新疆」とよんだ。
 その結果、18世紀中ごろに、中国内地・東北地方・台湾を直轄領、モンゴル・青海・チベット・新疆を藩部、朝鮮・ミャンマー(ビルマ、アラウンパヤー朝)、タイ(シャム、アユタヤ朝)・安南大越国(のち越南国阮朝)を属国とした。その他、ネパール・ブハラ=ハン国・ヒヴァ=ハン国・コーカンド=ハン国などを朝貢国とした。
 また、内政では理藩院を整備した。