宋は新興の金と結んで遼(契丹)を挟撃し、燕雲十六州の奪回を目指した。金の攻撃により1125年遼は滅亡した。このとき、遼の皇族耶律大石は、中央アジアに逃れカラ=キタイ(西遼)を建国し、遼の文化を西方で維持した。