満州事変をきっかけに中国全土で抗日運動が盛んになった。西安にいた張学良は、この状況をみて、共産党に対する軍事行動を促しにきた国民党の蒋介石をとらえ、内戦の停止と抗日を説得した(西安事件)。蒋介石はこれを受け入れ、国民党と共産党は接近した。
 日本は1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに、華北地方における軍事行動を拡大した。これに対し、国民党と共産党は第二次国共合作を成立させ協力して抵抗した(日中戦争)。年末まで日本は華北の要地と首都南京を占領したが、いわゆる「三光作戦(焼き尽くし・奪い尽くし・殺し尽くす)」を行ったため、中国民衆の激しい抵抗運動を生んだ。 特に、南京占領の際には多数の住民を殺害し、国際世論の非難を浴びた(南京事件)。 中国は、アメリカ・イギリス・ソ連の援助を受け、政府を南京から奥地の重慶に移して抵抗を続けた。日本は重要都市とそれを結ぶ交通路は占領したものの、広大な農村部を支配することができず、戦争は泥沼化した。