日中戦争の長期化によって国力を消耗させた日本は、南方の資源を確保しようとした。1940年フランスがドイツに敗れ降伏すると、フランス領インドシナ北部に、翌年には南部に軍を進駐させた。
これに対しアメリカは、反ファシズムの立場を明らかにし、イギリス・中国・オランダと共に、日本の南方進出に抵抗した(「ABCDライン」)。
特に、アメリカは日本への原油の供給を停止したため、日米関係は緊張した。
1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾にある米海軍基地を、航空母艦から飛び立った航空機で奇襲し、大打撃を与えた。
また、同時にマレー半島に上陸しタイに進駐するとともに、イギリス領への攻撃を行った。
これらの攻撃は宣戦布告がなされる前に行われたため、国際社会の非難をうけることとなった。