1938年ドイツはドイツ民族統合を名目にオーストリアを併合し、続いてチェコスロヴァキアのズデーテン地方の割譲を要求した。イギリス・フランスは当初宥和政策をとり、ドイツの要求を黙認していた。しかし、ドイツはチェコスロヴァキアを解体し勢力下におき、続いてポーランドにポーランド回廊の返還を要求し、イタリアもアルバニアを併合した。
 そのため、イギリス・フランスは宥和政策の限界を認め軍備を整えるとともに、ポーランドの安全保障を約束した。これにより、ポーランドはドイツの要求を拒否し、ドイツとポーランドの緊張はさらに高まった。
 イギリス・フランスはソ連とも軍事同盟の交渉を行ったが、イギリス・フランス両国の態度に不信を抱いていたソ連はドイツとの提携に方針を変え、1939年8月独ソ不可侵条約を締結した。