稲作に適さない土地であったこの辺りは,糸貫川から引く用水は死活問題でした。享禄3年(1530),根尾川の大洪水が原因で糸貫川の流路が変わり,水量が減ってしまいます。そのため,水をめぐって真桑村と席田村(現本巣市糸貫町)では,流血沙汰や訴訟,見分が絶えなくなりました。この論争の解決に尽くしたのが,上真桑村の福田源七郎でした。彼は,約9年間井頭(用水管理者)をつとめ,私財を打って江戸の評定所に十数回出向き,とうとうこの論争を解決したのです。村の人々は彼が江戸から最後に帰郷した日を,彼の功労を称える日と定め,当日の余興として人形芝居「義農源七郎」を上演しました。この人形芝居が真桑文楽の始まりであるとも伝えられています。

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