「郡上宝暦義民太鼓」は,江戸時代,郷土のために犠牲となった義民たちの遺徳をしのび,その功績を長く後世に伝承することを目的として昭和50年に創作された太鼓です。郡上藩宝暦騒動の発端から農民の勝利までを,農民決起・傘連判状太鼓/ 直訴太鼓/歩岐島騒動・乱闘太鼓/天下泰平・踊り太鼓の4場面で構成し,勇壮な太鼓の響きに合わせ,掛け声も勇ましく鬼気迫る演技をします。
 郡上一揆とも呼ばれる郡上藩宝暦騒動は,郡上金森藩(郡上郡と越前国大野郡の一部)での年貢の税率の引き上げが発端となり引き起こされました。年貢の税率の引き上げに反対した農民たちは,死罪覚悟で江戸藩邸にまで訴えにいったり登城途中の老中の駕籠を止め直訴したりしました。しかしそれも功を奏さず,やむなく江戸評定所の 「目安箱」に訴状を入れます。その結果,老中はじめ幕府指導者数人が免職となっただけでなく,金森藩主はとりつぶしとなりました。江戸時代におきた多くの一揆の形態 のなかでも藩主だけでなく幕府要人まで裁きが及んだのは郡上の一揆だけでした。
 この一揆で犠牲になった人々は,宝暦義民として,今も郡上の土地と人々の心の中で生き続け,宝暦義民太鼓は毎年10月に郡上市白鳥町で開催される「ふるさとしろとり夢祭り」で披露されるほか,海外での公演も行うなど今では有名な太鼓となっています。

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