江戸時代宝暦年間(1751〜 62),財政の逼迫していた郡上金森藩では,増税の通達を農民に出しました。しかし,普段から作物が育ちにくく,貧しい生活を強いられていた農民たちは,納得ができません。郡内の農民は南宮神社に集合し誰がリーダーであるかがわからないように唐傘連判状を作成し,団結しました。 宝暦騒動,郡上一揆と呼ばれる,江戸時代最大規模の農民一揆の始まりを表す,宝暦義民太鼓の第一部です。