地理学者の「志賀重昴」が大正2年に美濃加茂市に訪れた際、太田から犬山までを舟で下りました。志賀重昴氏はその景色を見て「太田から犬山までの山水はドイツのライン川の縮図にして勝れり、故に日本ラインなり」と言われたそうです。それがライン下りの由来と言われています。