●古今伝授●

 「古今伝授」というのは、古今集の解釈を中心に、歌学や関連分野の諸学説を、口伝・切紙・抄物によって、師から弟子へ秘説相承の形で伝授することです。古今和歌集は、延喜5年(905)に紀貫之ら4人の撰者が醍醐天皇の勅命を受けて撰進した日本最初の勅撰和歌集で、平安朝文学の古典として代々の歌人に尊重され、作歌の手本となりました。しかし、成立後100年以上もたつと、歌の本文や解釈について疑義が生じ、各人各派の注釈が行われ始めます。

 東家9代目常縁は、藤原為家より受けた御子左=二条流の東家代々の享受とともに、正徹・尭孝といった中世を代表とする歌人に学び、切紙による伝授方法を取り入れて、連歌師の宗祇に伝授しました。宗祇以降この切紙を中核とする古今伝授が確立されます。

 古今伝授は、古今集講釈と「三木三鳥」などの秘説切紙伝授が中核をなします。三木は、流派によって異なりますが「おがたまの木」・「めどに削り花」・「かはなぐさ」、三鳥は「よぶこどり」・「ももちどり」・「いなおほせどり」、とされます。この三鳥が、フィールドミュージアムの施設名称の由来になっています。

 慶長の始め、細川幽斎は分派した古今伝授を集大成します。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際、幽斎は徳川方についたため石田三成軍にその居城・京都丹後の田辺城を包囲されますが、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇が勅命によって城の包囲を解かせました。常縁から始まった古今伝授が、のちのちまでどんなに尊重されたかを知るに足りるエピソードです。

 近年になって古今伝授は、荒唐無稽なものとして和歌史のなかでの位置づけは十分になされないままでしたが、その解釈は歴史的には必ずしも妥当なものではありません。現在にいたって、これまで封印されてきた古今伝授資料が公開されるなかから、中古・中世から近世にかけての文芸一般、またその時代の社会思想や文学理念のありようを追求する手がかりとして研究がなされだしました。つまり、歌学伝授全史の実態が、単に「古今集」に関する秘事口伝の伝授史に止まらず、その内容は三大集の伝授はもとより、古今伝授の連歌界への伝播や「源氏物語」や「伊勢物語」の伝授という派生事項のほか、当代社会における神儒仏思想の混入、また文学理念の反映に至るまで複雑多岐な領域を含みつつ果てしない広がりを持っているのです。

古今伝授書 三巻(728KB)

 「古今伝授の里」は、こうした歴史的な背景を踏まえ、古今伝授の顕彰と研究のみならず「和歌・短歌のふるさと」として、情報の集積と発信をし続け、「古今伝授」を文学に限らず、その語感からくる「古を今に伝え授ける」という意味でも捉え、広く“日本のこころ”を探る試みをしていく里です。

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