現存する奈良時代の戸籍は大半が断簡(一部分しか残っていない)であるが、半布里戸籍はほぼ当時の姿を留めている貴重な資料です。
半布里の「里」とはおよそ村と同義であり、当時の最小の行政単位でした。 基本的には50戸で1里と定められていましたが半布里の場合、総戸数は58戸となっています。
最初の4戸分は失われており、54戸1119人の氏姓が記載されています。 失われた分を推定加算するとおよそ1200人が半布里には住んでいたこととなります。
戸籍に残る戸主の氏名を見ると3つのグループに分けられます。律令以前の官職名を氏名にもつ県主族、渡来人系の泰人姓、その他の一般の人々の3グループである。
各戸は相互監視と連帯責任をはたすため五保制(5戸で1保とする制度)で結ばれていましたが、やはりこの3つのグループは保ごとにかたまる傾向があるようです。
このグループのうち県主族は、元来この地に勢力を持つ豪族の系統であるためか、里の中で最も支配的な位置にあると考えられます。
半布里戸籍からは、奈良時代の人の名や家族関係が分かるだけでなく、当時の国家が一般の人々の生活にどの程度介入していたのかや、財政基盤を整備するためどのように人民を把握していったのかという国家政策を考える上でも非常に貴重な資料と考えられます。
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