●飛騨民俗村の施設2●

工芸集落

工芸集落では、飛騨の伝統工芸技術の保存と技法などの一部公開をしています。

13 小林家 一位一刀彫
●大野郡小鷹狩郷大村(現・吉城郡古川町大村)
●江戸後期、間口13.0m、奥行12.2m
●土座生活の跡を残していた民家の一部を改造して、一位一刀彫の工房としました。 「いちい」はいちい科のいちいといい、使用する材は樹齢400年〜500年を経たものから特に吟味して用います。 江戸末期、松田亮長により、飛騨地方特産のいちい材を使って創作されたのが現在に至っています。

14 直井家 漆塗(飛騨塗)
●大野郡灘郷本母村(現・高山市本母町)
●江戸末期、間口14.5m、奥行10.7m
●飛・で生産された塗物には、能登輪島より伝えられた堅地塗と、江戸初期に高山で発祥した春慶塗とがあります。 俗に、飛騨塗といわれるものは、堅地塗から別れて、朱塗の器物色漆、簡略な花鳥草木の模様をつけたもので、江戸末期まで南飛騨で塗られ、久しい間絶えていました。 現在この家では、飛騨漆を復活し、技術の保存研究を行っています。

その他の施設

15 八月一日家 (飛騨の里)
●大野郡白川郷三尾河(現・大野郡荘川村三尾河)
●江戸後期、入母屋造、茅葺、間口13.2m、奥行9.1m
●当家は三尾河の西蓮寺の庫裏でした。屋根の裏側にホテ窓という窓を持ち、越前地方の影響を受けています。 又、巾広い廊下もその特徴で、俗に荘川造りと呼ばれています。

16 大野家(飛騨の里)
●益田郡阿多野郷野麦村(現・尾の郡高根村野麦)
●明治初期、切妻造、板葺、間口9.1m、奥行9.1m
●飛騨には「妻入」の民家は高根村の野麦、日和田、猪之鼻等の集落に点在するのみで、入口の土間から家の中央を裏まで抜けた大きな部屋を「いのま」といい、その両側に「ねま」「ものおき」「つけものべや」をつないでいます。 こうした間取りは、普通は民家建築にはないもので、杣人たちの小屋を住居に発展させたものと考えられます。木挽、杣の用具等を展示しています。

17 苅安家(飛騨の里)
●大野郡小八賀郷町方村(現・大野郡丹生川村町方)
●江戸後期、間口16.8m、奥行10.4m
●この民家は、牛馬の医師として続いた家で、薬を調合する部屋があります。飛騨中央部の形態である小座敷という部屋を左側につけてあります。

18 紺谷家(飛騨の里)
●吉城郡小鷹狩郷舟原(現・吉城郡河合村舟原)
●小屋組石置板葺屋根、間口12.7m、奥行10.3m

19 日下部家(飛騨の里)
●大野郡白川郷御母衣村(現・大野郡白川村御母衣)
●江戸末期、切妻造、茅葺、間口10.1m、奥行5.5m
●現在、管理事務所として使用

20 永田家(飛騨の里)
●大野郡大八賀郷漆垣内村(現・高山市漆垣内町)
●明治初期、切妻造、間口11.9m、奥行8.2m
●現在、休憩所として使用

21 西永家(飛騨の里)
●大野郡久々野郷渚村(現・大野郡久々野町渚)
●明治初期、間口11.9m、奥行9.2m

22 郷倉(飛騨の里)
●大野郡上枝村(現・高山市新宮町)
●現在、藁のはきものコレクションを展示しています。

23 中切土蔵(飛騨の里)
●高山市中切町
●江戸末期 ●火事の多かった高山地方では、防災上からも、土蔵造りは独特の発展をとげました。この土蔵も飛騨形といわれる置屋根を乗せています。現在は収蔵庫として国指定重要有形民俗文化財を保存しています。

24 押上家土蔵(飛騨の里)
●大野郡灘郷西之一色村(高山市西之一色町)
●明治14年、四方転び、蛇腹付屋根
●現在、収蔵庫として、国指定重要有形民俗文化財を保存しています。

25 山岳資料館(旧高山測候所)
●大野郡灘村(現・高山市桐生町)
●明治36年、間口11.0m、奥行14.6m
●中には、登山・スキー用具、登山の歴史、気象、動植物などの資料を展示しています。

26 立保神社拝殿・舞台(飛騨の里)
●吉城郡小鷹狩郷保(現・吉城郡河合村保)
●この拝殿は2段からなり、拝殿であると同時に舞台として利用されたもので、下段の舞台では村芝居などが行われました。

27 匠神社(飛騨の里)
●本殿……河合村保     鈿女神社  
  拝殿……宮川村加賀沢 白山神社  
  鳥居……高山市桐生   白山神社

28 炭焼小屋(飛騨の里)
●このかまは、ナラ材11石(3.0・)を使って12俵(180kg)の木炭を焼くことができます。

29 木挽小屋・杣小屋(飛騨の里)
● 明治の頃まで木挽や杣びとたちが山へ入って作業するときに使われた作業小屋です(復元)。山中の共同生活は厳しい規律のもとに行われました。

30 わらび粉小屋(飛騨の里)
●益田郡多野郷中洞村(現・大野郡高根村中洞)
●わらびの根から澱粉(わらび粉)を採集するのに用いられた小屋です。

31 和紙漉小屋(飛騨の里)
●河合村角川

32 バッタリ小屋(飛騨の里)
●大野郡白川村郷三尾河村(現・荘川村三尾河)
●水を利用して天秤を応用して米や稗を精白した唐臼を、この地方では「バッタリ」といいます。

33 車田(飛騨の里)
●車田は大野郡大八賀郷松之木村(現・高山市松之木町)にあり、全国でも飛騨と佐渡にのみ残っているといわれています。 「斐太後風土記」(明治6年刊)には、「此の田を植えるには、先、稲苗一握を田の中央におき夫れより丸く巡りて苗を植える地、さながら菅笠の縫目を見るに等し、里民の口碑に古昔金裡の御田を佃田と称せり。 供御の米を作る田の値様なりといへり」とあります。 又、別に伊勢神宮の神田であるという説もあります。飛騨の里ではこの田の手法を後世に残すため車田を作りました。

34 五阿弥池(飛騨の里)
●五阿弥池は、昭和の初期に造られました。灘300石といわれ、高山盆地のなかで一番広い水田地帯(灘郷の上岡本、下岡本など5ヶ村)の用水の補水用に造られた潅漑用のため池で、面積約3.300m、深さ約5mあります。

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