明宝村立博物館の変遷 |
昭和39年4月 |
明宝村立博物館の前身である奥明方中学校民俗資料館が創設される。資料収集のきっかけは、生徒自身に、物を管理するということの実践として始められ、生徒・職員が共に汗を流して働くことによって、より良い環境をつくるとともに、環境をつくりだしていく行動を通して、お互いに自分自身を伸ばそうということで、村の人たちの暖かい援助の下に、全校が一丸となって、資料収集にあたりました。 |
昭和44年 |
3階建の中学校校舎の、屋上部分に4階を増築して展示室を作りました。 |
昭和45年 |
年々資料館としての規模もふくらみ、中学校が経営管理を行うということが困難となったため、村に管理を移管して村立の資料館となりました。 |
昭和52年 |
廃校となった木造の小学校校舎を改築して、博物館を開館しました。 |
昭和54年5月 |
数多い資料の中から、「明方の山村生産用具」2,037点が国の重要有形民俗文化財に指定されました。山村生産用具とは、農業や林業、その他の様々な産業で使った道具のことです |
平成4年4月 |
。村名変更に伴い、「明宝村立博物館」と名称が変わりました。 |
平成7年12月 |
「奥美濃の人生儀礼用具」1,504点附53点が国の重要有形民俗文化財に指定されました。人生儀礼用具とは、人が生まれてから、死ぬまでの様々な儀礼<誕生の祝い・成人の祝い・結婚・出産・葬儀>に使った道具のことです。 |