教育(学校)の部屋

大正以前、学校に行って学習するということは、貧しい山村の子供たちにとっては、大変困難なことでした。農業や山仕事は、今と違って、ほとんどが手作業で、子供といえども貴重な働き手であり、教育が大切なこととはわかっていても、なかなか学校へ行くことはできませんでした。大正・昭和と時代が進むにつれて、貧しい子供たちも、学校に行って教育を受けられるようになりました。

写真は、御真影(ごしんえい)とかかれた提灯(ちょうちん)と、教科書です。

提灯は、戦前、奥明方国民学校の講堂の奉安殿(ほうあんでん)にあった天皇・皇后両陛下の写真を、緊急時に安全な場所に移し、その場所に、この提灯を掲げることになっていました。

 教科書は、明治から昭和初期にかけてのものです。教科書というものは、現在と違って個人で買い揃える(そろえる)ものでした。子供が多い家庭では、毎年買うことができないので、兄や姉から譲って(ゆずって)もらいました。物が豊富でない時代ですから、兄姉は、弟や妹が困らないように、大事に使いました。