食の部屋
 明治・大正・昭和にかけての農山村の平素の食事情といえば、山間地で耕地の面積が、非常に少ないこの地では、自給自足で生活することは困難で、山で炭を焼いて、その収入で米やその他の必要な物資を購入していました。そのような事情から、当時の食事は、大変粗末のものでした。

 また、食材を調理するにも、現代のように、ガス・電気・水道が完備されていないので、人々は大変な手間をかけて、調理や食料の貯蔵を行っていました。

 写真の資料は、上から、羽釜(はがま)・飯いずみ・擂粉木(すりこぎ)とおろしかき・わりごです。

 羽釜は、ご飯を焚いたり、蒸し器のお湯を沸かしました。

 飯いずみは、お櫃(ひつ)を入れておくもので、焚いたご飯をお櫃に入れ、これに入れておくと、保温効果がありました。

 擂粉木とおろしかきは、両方とも手作りのものです。

 わりごは、今のお弁当箱のことです。昔の人はこれに、ご飯をいっぱい詰めて山へ持って行き、朝早くから、日が暮れるまで働きました。