・金森頼錦は、父が早世したため、1736年(元文元年)に、祖父の後を受けて、37歳で跡を継ぎました。 |
・文学を好み、絵や書にすぐれ、天文学にも関心をもっていて、城の天主台で天体観測も行ったそうです。 |
・宮ヶ瀬橋(の近くに目安箱(を置き、農民や町人の意見も取り入れた政治を志していましたが、うまくいきませんでした。 |
・その頃、金森氏は、数年間の間に遠距離にわたる2度の国替えをした。 |
・それに、江戸の屋敷が2度も火事にあい、建てかえをしなければならなかった。 |
・また、参勤交替のための費用もばかにならない。 |
・さらに、頼錦は、1747(延享4)年に、幕府の奏者役(になり、将軍の側近くに使えるようになった。いろいろと人との交際も広くなって、衣服や生活が派手になり、出費が多くなった。
といった理由から、年貢の取り方を、「定免取り」「検見取り」に変えようとしました。 |