鏡に映る世界は、太古の昔から人類を魅了してきました。例えば、日本においては、鏡は日常的な道具のみならず、三種の神器(鏡・玉・剣)の1つとして祭られていますし、また西洋でも、「白雪姫」や「鏡の国のアリス」のように鏡が登場する童話がいろいろあることから、鏡の話題は尽きません。
さてここでは、鏡にまつわる数学上の話題をいくつか取り上げます。毎日何気なく見ている鏡が、数学とどのように関わり合っているのかを考えていきましょう。
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1.鏡の像は左右が逆になるが、どうして上下は逆にならないのか
「鏡の像は左右が逆になるが、どうして上下は逆にならないのか?」
この問いで始まる本が、科学啓蒙書の名著として名高い「自然界における右と左」(マーチン・ガードナー著)です。
一緒に考えてみましょう。下のCG(Computer Graphics)の図を見てください。
上の図のように、「鏡」という文字は左右逆になり、いわゆる「裏文字」とか「鏡文字」になっています。
この問いは、このように、どうして鏡が左右だけを選択して逆にし、上下を逆にしないのか、どうして鏡が左右と上下の区別をするのか、という疑問を投げかけています。
この問いの正解は、マーチン・ガードナーが言うように、「鏡(鏡像)は左右が逆になっているのではなく、前後が逆になっている」のです。
そのことを明確にするために、座標軸を鏡に映してみましょう。
x軸を鏡に垂直に、y軸とz軸を鏡に平行になるようにして、鏡の前に置きます。
このとき、鏡の中の像は
座標軸とその鏡像
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赤=x軸
緑=y軸
青=z軸
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になりますね。
このように、y、z軸は向きが変わらず、x軸が逆に、つまり、鏡の面に対して前後が逆になっています。納得できましたか。
しかし、まだ少し疑念が残っているかもしれません。
それは、では「どうして前後が逆になることを左右が逆になるというの?」あるいは「左右が逆になったように感じるの?」ということではないでしょうか。
このことについては、数学の問題よりも心理的な問題あるいは言葉遣いの問題の領域でしょう。つまり、人間は鏡の中の像を現実の世界へ取り出して(あるいは、人間が鏡の中に入り込んで)、その鏡像と現実像を左右に並べて見比べる傾向が強いようです。そのとき、人間の右手左手の感覚や、平面図形をひっくり返した体験等を連想して、「前後が逆」と言うよりも「左右が逆」と言った方が馴染みやすい、ということでしょう。人間は前後関係よりも左右関係を優先しているようにみえます。これは、人間の目が左右についていることに起因しているのでしょうか、本当のところはよく分かりません。
ちなみに「鏡」という文字は2次元図形ですから、その鏡像はひっくり返すと重なります。しかし、3次元図形はそうのようにはいきません。たとえば、右手と左手も互いに鏡像になっていますが、右手の掌と甲を互いに表向けたり裏向けたりしても、所詮右手は右手であり、左手にはなりません。鏡はいとも簡単に鏡像を作ってしまいます。ここに鏡像の興味深い性質が内在しています。
このことについて、次の「2.鏡像の不思議」で見ていきましょう。
2.鏡像の不思議(ひっくり返しは次元を越えた操作)
上で述べたように、右手と左手も互いに鏡像になっていますが、右手の掌と甲を互いに表向けたり裏向けたりしても、所詮右手は右手であり、左手にはなりません。
このように似て非なる鏡像の性質について、もう少し深く観ていきましょう。
まず、「裏文字」「鏡文字」を考えてみましょう。
この図形は、数学的に言うと「線対称」図形です。ですから、鏡像を作るには、もとの図形を「軸に関して180°回転させる」とか「ひっくり返す」いう具体的な操作をすれば鏡像を作ることができます。
このとき、つぎのことに十分注意して考えてください。
文字は高さのないペラペラの図形、すなわち「平面図形」です。これを「ひっくり返す」ことになります。この「ひっくり返す」という操作は、高さのある3次元空間内での操作になります。
つまり、文字を平面上でどのように動かしても、その鏡像はできませんが、高さを加えた3次元空間内で「ひっくり返し」という操作をすれば、具体的に鏡像を作ることが可能です。
さて、平面図形の次に、3次元空間内の立体図形の鏡像について、調べてみましょう。
下図のような立体図形とその鏡像を考えてみます。この2つの立体は、どのように動かせば、重ねることができるでしょうか。
やってみましょう。
いかがでしたか。どのように動かしても重なりませんね。
この2つの立体は、数学的に言うと「面対称」の図形ですが、平面図形の場合とは異なり、回転対称ではありません。従って「ひっくり返し」という操作で鏡像が作れないということになります。
さて、ここから想像をたくましくして、考えてみて下さい。
2次元の平面図形の鏡像は、1つ次元を上げた3次元空間内の「ひっくり返し」により作ることができました。
同様に、
3次元の立体図形の鏡像は、1つ次元を上げた4次元空間内の「ひっくり返し」により、作ることができないでしょうか。
もちろん私たちは3次元空間に住んでいますので、1次元空間(直線上の世界)や2次元空間(平面の世界)は容易に想像できますが、4次元空間は目に見える形ではなかなか想像できません。
ちなみに、それぞれの空間の数学的な定義は、
- 1次元空間:1本の数直線が作る世界
- 2次元空間:互いに直交しあう2本の数直線が作る世界
- 3次元空間:互いに直交しあう3本の数直線が作る世界
- 4次元空間:互いに直交しあう4本の数直線が作る世界
- ・・・・
- n次元空間:互いに直交しあうn本の数直線作る世界
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ですから、4次元空間は、「3次元空間の3本の数直線(x,y,z軸)に対して、どれとも直交するようにもう1本追加した(追加できるような)空間」ということができます。
どうですか、このような空間を想像できますか。
やはり、想像することは難しかったでしょう。
鏡はいとも簡単に3次元立体図形の鏡像を作りますが、
それが4次元空間内の「ひっくり返し」により作られた
という言い方もできます。このことから、鏡の神秘的な性質をあらためて感じます。
鏡像について、もうひとつ神秘的な話題があります。それは分子の世界の話題です。
原子が結合して分子を作るとき、様々な立体構造ができます。分子の中には、その構造が互いに鏡像関係にあるものがあります。それらはL体D体といういい方で区別していますが、まったく同一の物質であり、どちらができやすいということはありません。
アミノ酸という物質はたくさんの種類がありますが、L体とD体を持っています。ところがどういう訳か、
地球上の生物はL体のみを使っている
のです。どうしてでしょうか。
その理由については諸説が提案されています。たとえば、「太古の昔、進化の過程で、L体を持つ種が偶然に優位になり、その後その種からすべての種が進化したのではないか」という主張もあります。しかし、まだはっきりしたことはわかっていません。
アミノ酸のうち、化学調味料として馴染み深いグルタミン酸もL体とD体があります。
グルタミン酸
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手前がL体、鏡像がD体
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このL体グルタミン酸にナトリウムを結合させたものが、L−グルタミン酸ナトリウムであり、化学調味料として使われますが、D−グルタミン酸ナトリウムは不味くて食べられないそうです。(体験したことがないので、わかりません。)
人工的に物質を合成すると、L体とD体は同量できます。グルタミン酸ナトリウムを合成すると、その半分は不味いので捨てることになってしまいます。
このようなとき、L体とD体を選択的に合成できると便利ですね。そこで開発された方法が「不斉合成」という方法です。この方法の研究の業績により、野依良治名古屋大学教授がノーベル賞を受賞されました。
以上、鏡像の不思議でした。
3.ビリヤードは鏡を使って
鏡はその表面で光を反射します。そのとき、鏡は入射角と反射角が同じになる方向に反射する性質を持っていることは、周知のとおりです。この反射という現象は、光に限らず日常的にたくさんあります。例えば音が壁に当たって反射する、ボールが壁に当たって反射するなどがありますが、どれも共通の原理で議論できます。
ここでは、光の反射とボールの反射の現象の一体感(数学の言葉で言うと類比)を味わっていただきましょう。
ビリヤードというゲームがあります。ご存じのとおり、台の上の玉と玉を
直接または枠(クッション)で反射させて当て、穴に落とすゲームです。
さて上のCGで、赤い玉を黄色の玉に当てるには、どの方向を狙いますか。もちろん、台や壁での摩擦、空気の抵抗、ボールの回転などの要素(外乱)は無視して下さい。
直接狙う方向は明らかですね。
では、
- 左の壁で反射させて(ワン・クッションさせて )当てる方向は?狙う方向
- 向こうの壁で反射させて(ワン・クッションさせて )当てる方向は?狙う方向
- ワン・クッションさせて当てる方法は何通りある?
- 左と向こうの両方で反射させて(ツー・クッションさせて )当てる方向は?狙う方向
- ツー・クッションさせて当てる方法は何通りある?
- スリー・クッションさせて当てる方向は?狙う方向
- スリー・クッションさせて当てる方法は何通りある?
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いかがでしたか。上手く鏡を使えましたか。
現実のビリヤードでは、外乱によるずれが問題となり、それを上手く交わすことが
「技」であり「妙味」です。ここではそれらを無視しました。
無視したついでに、では無限に反射を繰り返えすと、デタラメ方向に狙ってもやがては目的のボールに当たるのでしょうか。実験してみましょう。
ビリヤード・シミュレータ
何度も反射しているうちに、偶然当たることもあるようですが、保証の限りではありません。
このことを数学の問題として捉えると、「任意の方向に放った直線は反射を繰り返すうちに、その長方形内のすべての点を通るか」と言うことができます。興味のある方は挑戦してみてください。
4.歪んだ鏡の世界
鏡の表面は平らな平面ですから、左右が(数学的な表現では前後が)反対になった鏡像ができました。
しかし、鏡の表面が曲面になっていたら、どのような鏡像ができるでしょうか。
ここでは、そのいくつかを観ていきましょう。
凹円柱面
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凸円柱面
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凹球面
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凸球面
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凹円錐面
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凸円錐面
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様々に歪んだ鏡像が楽しめますね。
これらの曲面はもとの図形を歪めてしまいますが、場合によっては歪んだ図形を見やすくする効果もあります。
例えば、正距方位図法で描かれた世界地図は、経線が放射状になり、かなり歪んだ地図です。これを円柱状の鏡で見ると、見慣れた地図に近づきそうです。
鏡と物体の位置関係によっても鏡像は変化します。その例として、凹球面による鏡像と物体の位置を調べてみましょう。物体を凹球面へ近づけていくと、それにつれて鏡像もかなり変化します。
このように、凹球面においては、物体が球の中心を過ぎるとき、拡大や縮小など複雑に変形されながら、倒立像から正立像に変わります。
さて次に、凹球面による究極の鏡像を味わってみましょう。
半凹球面ではなく完全な球面を作り、その内面を鏡にします。この球面の内部に入ったら、どのような世界が見えるのでしょうか。
このような実験は現実の道具ではなかなか実現しにくいものですが、「コンピュータによるシミュレーションやCGならでは」の世界です。その醍醐味を楽しんでください。
球面内では、反射した光線が、何度も再反射しながら球面内をぐるぐる回るので、その鏡像がたくさんできます。ある場合には同心円上の鏡像ができたり、ある場合には一列に並んだような鏡像ができたりします。
球面による反射の詳しい仕組みは、この「数学鑑賞館 2次曲線のいろいろ」の中にある「2.2次曲線と光」をご覧ください。
曲面を持つ鏡として最も有用で親しまれているものは、放物面を持つ鏡でしょう。
放物面とは、放物線(2次関数)をその軸の回りに回転してできた曲面のことです。この曲面の大切な性質は、軸に平行に入った光線が1点(焦点)に集まるということです。
この性質をうまく使った道具は、
- 遠方からの光を1点に集める⇒天体望遠鏡,集光器,集熱器、太陽熱発電
- 遠方からの電波を1点に集める⇒パラボラアンテナ
- 遠方からの音を1点に集める⇒集音器
- 焦点から出た光を四散させずに並行光線にして放つ⇒サーチライト
などがあり、身近なところに応用されています。
次に、鏡の最後の話題として、「前後左右を同時に逆にする鏡」という奇妙な鏡をご覧いただきます。
この鏡は、直交する平面の窪みを持っています。
この鏡に物体を映すと、右の面の鏡で映った像は(その面の垂直方向に対し)前後逆になり、その像が左の面の鏡でもう一度(その面の垂直方向に対し)前後逆なります。
左の面の像も同じように2回前後逆になります。
以上、「鏡のいろいろ」はいかがでしたか。
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