記録に残る岐阜県下の戦災地は、各務原市・岐阜市・大垣市のほか、可児郡可児町・羽島郡笠松町・安八郡安八町・大野郡丹生川村などです。1945年3月をヤマとする東京・名古屋などの一連の大都市攻撃、4〜5月の沖縄作戦支援の九州地方爆撃に続き、中小都市攻撃が日増しに激化する同年6月から、県下への本格的な空襲がはじまりました。

 各務原の場合は、大軍需都市名古屋の壊滅後、陸軍航空機生産で特に重要性を増していた川崎航空と飛行場を軍事目標として10数回にわたる空襲が繰り返されました。工場は完全に破壊され、生産がほとんどストップしたばかりではなく、工場・基地周辺も攻撃を受け、大きな被害を出しました。

岐阜・大垣の場合は、夜間の大量の焼夷弾投下により、市民の生活は破壊され、市街地は焦土とかしました。

 さらにこのころから予告爆撃もはじまり、岐阜・大垣に引き続き、多治見・高山などに空襲の予告ビラが投下されました。