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学習資料
神岡鉱山

  神岡町の産業のトップにあげられるのは、やはり神岡鉱山です。採掘される鉱石の量や亜鉛・鉛地金の生産高では全国屈指の規模を誇っており、採掘から製錬まで一貫した体制となっています。特に鉱山部門では最新鋭の大型機械による大規模で効率的な採掘を行ており、東洋の非鉄金属鉱山の中でも代表的な地位を占めています。
 神岡鉱山の歴史は古く、養老年間(七一七〜七二四年)に黄金を産出し、天皇に献じたという言い伝えもあります。その後、天正末期(一六世紀末)に糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が金山奉行として茂住坑(長棟・池の山方面)の開発に努めました。江戸時代に入ってからは幕府代官直轄の鉱山になったり、民間の山師によって採掘が続けられました。明治七年(一八七四年)に三井組が前平・鹿間などの各坑(栃洞坑)を買収し、鉱山の経営に着手してからは年を追って生産高が増加し、発展してきました。昭和二十五年(一九五〇年)に三井鉱山金属部門が分離して独立し、昭和二十七(一九五二年)からは社名が三井金属鉱業株式会社になりました。さらに昭和六十一年(一九八六年)に神岡鉱業所が独立して神岡鉱業株式会社となり現在に至っています。神岡鉱業では南北に栃洞・円山・茂住という三つの鉱床群を有し、栃洞坑・円山坑で鉱石が採掘されています。 栃洞坑内の様子を見ていきましょう。鉱山の内部はほぼ五十メートル間隔で幅約五メートル高さ約四メートルの水平坑道があり、らせん状の大斜坑で縦横に連絡しています。鉱石投入の竪坑も要所に設けられており、坑道の総延長はやく一千キロメートルにもなります。この中を四輪駆動の人員輸送車、穿孔マシーン(ジャンボ)、鉱石運搬車(ロードホールダンプ)などの車両が自在に走り回り、鉱石を効率よく採掘、運搬しています。
 坑内の気温は一年中変わりなく、およそ摂氏十三度です。作業員はヘルメット、防塵マスク、キャップランプなど定められた保護具を身に付け、安全第一を最優先に働いています。
 鉱石の採掘は、まずジャンボで火薬を詰める穴を開けます。次に火薬を詰め、爆発させます(発破)。発破は作業員が全員坑外へ退避したことを確認した後で、坑外事業所からの操作で点火します。発破で掘り起こされた鉱石はロードホールダンプで運ばれ、竪坑に落とされます。ロードホールダンプが一回にすくう鉱石の量は約十二トンです。
 坑内にある破砕工場でこぶし位の大きさに砕かれた鉱石は、長さ千二百メートルもあるベルトコンベアーで坑外の選鉱工場へ運ばれます。選鉱工場ではロッドミル、ボールミルなどの破砕機や粉砕機で更に細かく砕かれて、最後には〇・二ミリメートル位の泥状になります。それを浮遊選鉱機という選別機で、まず金属分と土砂分にわけ、次に亜鉛精鉱と鉛精鉱によりわけます。亜鉛精鉱は亜鉛製錬工場に送られ、鉛精鉱は他の精錬会社に販売されます。
 亜鉛製錬工場では、まず亜鉛精鉱を焼いて硫黄分を取り除きます。硫黄からは硫酸を作ります。つぎに焼いた鉱石を硫酸で溶かした後に、カドミウムなどの有用金属を回収します。最後に残った純粋な硫酸亜鉛溶液を分解して亜鉛地金を取り出します。
 鉛製錬工場では以前は鉛選鉱から鉛地金を作っていましたが、現在では使えなくなった自動車用バッテリーや電子部品などを溶かして、その中に含まれている鉛や金、銀を回収しています。このリサイクル事業は限りある資源を大切にするという面で地球環境の保全に大いに役立っています。
 亜鉛は主に鉄板の錆止めのメッキや乾電池に、鉛は自動車用バッテリーに使われます。製品の亜鉛・鉛地金や硫酸は、トラックや鉄道で日本全国に送られています。
 神岡鉱山には八ヶ所の自家水力発電所があります。出力は三万六千四百五十キロワットで、神岡鉱業で使用する電気の七十パーセント以上を賄っています。
 神岡鉱業の社員数は約五百五十名ですが、神岡鉱業が誘致・設立した神岡部品鉱業、神岡精機、ユアーソフトなどの関係会社や子会社であるサンライフ、神岡鉱山エンジニアリングを合わせると全部で約千五百名の社員がいます。神岡町の人口はおよそ一万三千人ですから、社員の家族も含めると実に多くの人が神岡鉱業と関係していることになります。
 町内には旭ヶ丘・夕陽ヶ丘地区の社宅群やグラウンド、独身寮、鉱山病院など多くの神岡鉱業関係施設があります。また、協力会社として土木二十五社、鉄工八社、電気八社があり、町内企業にも神岡鉱業と関係している会社が多くあります。このように、私たちの町神岡は神岡鉱業と深いつながりを持っているのです。
 次に最近の神岡鉱業の動きについて見てみましょう。神岡鉱業では平成五年(一九九三)に亜鉛製錬事業の競争力を強化するために、ベルギー国の技術を導入して亜鉛電解工場を新しく作りかえました。新工場では大型電極板を使用し機械化、省力化を積極的に進めた結果、亜鉛の生産効率を大幅に引き上げることができました。
 新しい製品としては、亜鉛や銅などの金属の粉末があります。この金属紛にはいろいろな形や大きさのものがあり、機械部品・電子部品の材料や塗料の原料として幅広い用途があります。
 平成六年(一九九四年)には急激な円高や世界景気の低迷による亜鉛・鉛の価格低下に伴う深刻な経営危機に対処するため、鉱石からの鉛製錬の中止や茂住坑の採掘一時休止とあわせて約百名の希望退職を実施するなど大幅な事業再構築を実施しました。
 神岡鉱業では最近、地下空間利用事業として、坑内のような地下空間をいろいろな事業の場として提供することを進めています。坑内は地上に比べて温度や湿度が一定である、強い岩盤がある、空気や音を閉じ込めたり、遮ることができるなど優れた面があります。この特性を生かした実験や作業が行われています。茂住坑の地下千メートルには東京大学宇宙線研究所の観測施設(カミオカンデ)が昭和五十八年(一九八三年)に設置され、陽子崩壊や宇宙から飛来するニュートリノという素粒子の観測を行っています。昭和六十二年(一九八七年)には大マゼラン星雲で起こった超神星爆発からのニュートリノを観測するなどすばらしい成果を上げています。そのほかにも将来的には減圧トレーニングセンターや恒温貯蔵庫、コンサートホールなどいろいろな利用方法が考えられます。
 また国の金属鉱業事業団が進めている佐古西地区探鉱調査では金属分の高い鉱体の徴候も捕らえており、新鉱床の発見に大きな期待が寄せられています。
 このように神岡鉱業ではこれからも神岡の地で操業を続けていくために、町・県・国の援助や理解を得ながら真剣な努力を続けています。