輪中地域で水屋建設が盛んになったのは、江戸時代後半からであると云われます。 水害の増大化に伴ってです。
その後、明治24年(1891)の濃尾大震災で大半の水屋は倒壊し、更に明治29年、当地を襲った大洪水で創建されたり、再建されたりしたのが多いと言われます。
水屋は、次のようなものが一般的です。
@水屋からの位置・・・・・・北西
A機能・・・・・・・・・・・倉庫・住居
・構造・・・・・・・・・・・土蔵
・階・・・・・・・・・・・・2階
B基壇 高さ・・・・・・・・4、5m
周囲・・・・・・・・雑木・竹
側面材料・・・・・・石垣
現在は、また水害が少なくなっていることから消えていく水屋の歴史ですが、過去どれほど水屋は建てられていたのでしょうか。 昭和30年代の終わりの調査によると市全体で42戸もの水屋があり、全世帯数の保有割合は12、7%にも達していました。
これは、市の南にある輪之内町、海津町につぐ高い割合であったことを示しており、過去、水とのたたかいの地であったことを強く物語っています。
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