●永田佐吉●

i2-7-1.jpg (5045 バイト) 佐吉は、元禄14年(1701)、羽島市の竹ヶ鼻村上鍋屋の小農の家に生まれました。 11才で名古屋京町の紙問屋美濃屋へ奉公に出されましたが、そこで熱心に勉強しました。 竹ヶ鼻に帰ってからは、綿の仲買人をはじめ、仕事のかたわら道を直したり、道標を各地に建てたりして人々のために尽くしました。
 その後、佐吉の母が、仏思報謝のため諸国の仏閣を巡礼すると言いだしました。 しかし、母の身体を心配した佐吉は、母に代わって6か年、東国や西国の霊場を巡り、母の無事を祈りました。 旅の途中、佐吉は重病にかかりましたが、神仏に参って回復。 このことを家に帰ってから母に報告すると、それは仏の加護であり、お礼に大仏を建立し報謝するよう言われ、佐吉は大仏建立を決意しました。
 佐吉は、さっそく江戸の鋳物師に建造を依頼しました。 しかし、大仏は移送の途中、遠州灘で台風のために海に沈んでしまい、再度、造り直されたのが現在の佐吉仏です。
 大仏を祀る堂は、明治24年の濃尾震災で焼失。 昭和37年11月、現在のコンクリートの堂が再建されるまで、外にそのまま祀られていました。
 その後、佐吉は孝行の手本とされ、小学校の教科書にも取り上げられ、日本の教育の柱の一つになっていきました。 右の写真は、昭和初年の様子で当時の姿をよく表しています。        

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